1.なぜ勉強しなければならないのか?

今日から始めてみることになりました

 

【ほぼ隔週】いろんなギモンを考えてみた

 

のコーナー(?)です。

 

このコーナーでは、日常生活の中で生まれる疑問や有名な思想的問いに対して、私なりの回答を出してみようと思います。

 

第1回は「なぜ勉強しなければならないのか?」です。

自分でこのように銘打っておいてなんですが、私はこの疑問文はおかしいと思っています。そのおかしい点は

①主語がはっきりしていない

②勉強しなければならないことが前提である

の2つです。

①については、多くが「学生」「子供」を想定すると思うのですが、勉強というものは別に学校の中だけでやるものでもなければ、年齢に縛られてやるものでもないはずです。勉強の主語が若年層に限られる、ということは絶対ではないのです。

次に②について。こちらの方が私はより「おかしいなぁ」と思っています。

そもそも、「勉強しなければならない」というのは命題として成り立っていない、とは思いませんか?これは命令とか宣言の類じゃないかと思うのです。世界には勉強したくてもできない人もいる、しなくても頭のいい人がいる、機会を与えられない人がいる……。子供たちは必ずしも勉強しなければならないとしたら、これはおかしいことです。ですが、現状はこれがまかり通っているわけです。そして、その現状を悪いと指摘する人はいないのです。(勉強したくてもできないという状況は悪くても、その環境下の子供たちを責める人はいませんよね)

つまり、子供たちが主体的に勉強する環境が出来ていなければ、子供たちに「勉強の義務」は発生しないわけですが、日本全国の学校がこの環境を担保できているとは思いません。

最近よく、小学校の算数の教え方が問題になったりしていますが、中学高校でも同じようなことがどこかで起こっているのは否定できない事実です。それなのに、子供の側には主体的な勉強や学習を要請するのは、道理が通らないのではないでしょうか。

そもそも、環境が整っていたからといって、必ずしも勉強しなければならない訳でもないはずです。図書館で雑誌を読む人もいれば絵本を読む人もいる。プールで泳ぎの練習をする人もいれば友達と水を掛け合う人もいる。環境というのは、主体が利用したいように利用すればいいものです。他者に害を与えない範囲において、主体にはその自由があるはずです。(これは有名な論調ですかね…)

学校という環境も、他の生徒に迷惑をかけない範囲では自由に活用するべきなのです。私は小学生の頃、宿題は後回しにしてアニメを見てばかりでした。学校では本を読み漁り、図書室に通い詰めていました。もはや図書館に通っているような感じです。真面目に勉強した記憶はありません。というか真面目に勉強している友達が周りにいませんでした。

学校は勉強する所、というのは少し違っていると思います。学校はもっと多義的な所で、学校の存在意義についてここで論じるのはまた長くなりそうなので割愛しますが、その意義を一つに絞るのは無理だと考えています。もちろん人の勉強の邪魔をするのは悪いし、全く勉強しないなら学校なんか来ない方がいいのですが、勉強を強制する場でもないように思うのです。

学校には通いたいけど勉強しなくない、というならいくらでも逃れようはあります。授業を受けているふりをして寝ててもいいし、テストでギリギリの点数を取っても殺される訳じゃありません。のらりくらりと落第をかわせさえすれば、心置きなくスクールライフを満喫していいのです。いわば及第点を取ることが学校にいる為の権利獲得の条件である、と考えればいいのです。そうすればもっと気楽になれるのではないでしょうかね。

「学生は勉強しなければならない」という教師の言を鵜呑みにする必要がどこにありましょう?校長の話も担任の話も全部真に受けているんですか?違いますよね。「なぜ勉強しなければならないの?」と口にする学生の中には、揚げ足取りをしたがっているだけの人もいると思いますが、それは無駄なことです。やめておきましょう。答えなど返ってこないのですから。

私は、勉強しなければならない、というのは嘘だと思います。勉強する目的は、各々考えればいいと思います。考えた結果、しなくてもいいと思ったのなら、しなければいい。

ただ、社会常識に関しては別です。それは生きていく上でのルールです。それはまた学校の勉強とは別ですから、ちゃんと学びましょう。(生きるために)

そして、私は自分なりに勉強することの目的を見つけたので勉強していますし、今後も勉強していきたいと思っています。

 

さて、色んな方向へ脱線して読みにくくなってしまいましたが、みなさんはどう考えますか?

よろしければコメント等で教えてください(*'▽'*)